オールバッカス 歴戦のジャージ達

オールバッカス(全酒神)


私は大学生の時にラグビー部に所属しておりました。大学を卒業して、築地で働くようになって初めての夏に母校の京浜地区の同窓会に顔を出しました。そこに大学1年生の時の4年生のラグビー部の先輩が来ておりました。1年生の時の4年生というのは神様のようなもので、その神様から、倶楽部チームで草ラグビーをしてるから来ないかというお誘いがありました。(御意!)こうして次の週の日曜から否応なしにそのチームの一員になったのです。
(そして私の神のような先輩のお兄さんがこのチームの初代のキャプテンだったのです。)

そのチームは、オールバッカス(全酒神)という新宿のゴールデン街にたむろする酔いどれたちが作った倶楽部チームでした。メンバーはフリーライター・有名雑誌の編集長・浅草橋のおもちゃ問屋の若旦那・彫刻家・俳優・ヘアメイクアーティスト・モデル・ゴールデン街のラーメン屋と焼き鳥屋の店主・弁護士のタマゴ・学校の先生・システムエンジニア・魚河岸小僧と物凄く個性的な面々でした。ラグビーをこのチームで始めた方も多数おりましたが、中には高校時代に花園の大会(全国高校ラグビー選手権)に出場した方も何人かおられて、その大会の優勝チームのスタンドオフだった、野球(甲子園)でいえば桑田選手や松坂選手にも匹敵するようなプレーヤーもいたんですよ。

毎週日曜日に練習か試合があり早春(館山)と夏(菅平)には合宿があり年末にはお餅もついておりました。練習は調布の今は味スタがあるカントー村(米軍基地跡地)か多摩川河川敷(丸子橋周辺)や江戸川河川敷で行い、試合は春は江戸川の河川敷のグランドでサンデーリーグの総当たり戦があり、秋は宮古や桐生のチームとの定期戦を中心に試合を組んで、年間20試合近く試合をしておりました。

このチームでは5代目のキャプテンを務めたりして、30代前半までかなり熱くなってプレーしておりました。しかしながら結婚してから体重が15キロ位増えたり、子供が出来て一緒に出かけたりで練習をサボるようになって次第に足が遠のき出して、33歳の誕生日に久々に試合に出た時に怪我をするしみんなの動きについていけなくてすっかり自信をなくしてすっぱりとやめてしまいました。

仕事で長靴を履いて魚河岸や水揚げ地を飛び回りながらも、夕方早く帰った日には勝どき・月島近辺を走ったり、豊洲のスポーツジムで泳いだりウエイトトレーニングをして体力も充実して動きもキレキレだったんだよなぁ~。
ラグビーもガチに熱くなってやったんですが、色んなチョー個性的なメンバーの集団でしたから、試合の後に電車の床にべたりと車座になって座り込んで缶ビールを飲んだり、よく行ってた中華屋さんの2階の広い座敷を貸し切りで大宴会したり、私がインドマグロの塊を持って行って花見をしたこともありました。試合や練習の後に楽しく素晴らしい仲間たちと旨い酒が飲めるから毎回行ってたのかもしれませんよね。

-オールバッカス, 歴戦のジャージ達