第6話:昭和の巨星
築地での生活にも少しずつ慣れ、勝鬨橋の朝と夕暮れが、私の一日のリズムを形づくるようになっていた頃だった。
私の会社の社長は、明治生まれの男だった。 今では誰もが知る“あの食品会社”の創業者と、まだ「水産業」という荒波の中で、缶詰原料のマグロを追いかけていた時代からの盟友だったという。 単なる魚屋から、加工食品という新たな文化を日本中に浸透させていく――。 そんな野望の胎動を共有していた二人は、忙しい合間を縫って帝国ホテルでカレーライスを、よく一緒に食べていたようだった。
噂で聞いていたその創業者は、優雅で、どこか近寄りがたい存在だった。 だが、水産のプロが「食の巨人」へと脱皮していく、その真実の姿を知ったのは、ある日の川崎大師周辺の冷凍倉庫でのことだった。
私は会社の4トン車に乗り、ラーメン工場に併設されたマグロ専用の冷凍倉庫へ荷を取りに向かっていた。 フォークリフトやトラックが行き交う、排気量と熱気に満ちた現場を歩いていると、作業服姿のひときわ大きな男がこちらへ向かってきた。
その男は、私のトラックの会社名の看板を見るなり、懐かしそうに目を細めて言った。 「おっ、懐かしい看板だな……」
その声には、荒れ狂う海と、巨大な組織の両方を束ねてきた人間だけが持つ、不思議な重みがあった。 後で知った。その人こそが、水産業界の“巨星”と呼ばれた、あの創業者だったのだ。
帝国ホテルで銀食器を扱う優雅さと、油と埃の舞う現場に作業服で立つ無骨さ。 その両方を、彼は呼吸をするように自然に纏っていた。 水産という出自を誇りに持ちながら、それを誰もが知る「食品」へと昇華させた男の背中。
昭和という時代には、こういう“重力を持った大人”が確かにいた。 言葉は少なく、背中で語る人たちだった。
私はその背中を見ながら、自分がどんな大人になっていくのか、まだ想像もできなかった。 ただ、昭和という巨大な物語が終わりに向かう中で、私の中でも何かが静かに揺れ始めていた。
その揺れは、六月に大きく動き出すことになる。